十三代八山の鬼嫁日記

今年の紅葉は、🍁本当に綺麗でした。 

窯元の庭にたくさんの赤い絨毯…。

緑の苔の上で映えてましたよ。


ただ、その後の大量な枯れ葉のお掃除は、半端なく…

腕か筋肉痛です。(>_<)

先日、お友達と福岡に行った時に食べたフレンチトースト。オシャレな店内には、こんな感じのメニュー。鬼嫁にはちょっと照れ臭い雰囲気でしたが、女子力アップしてみました。
IVOLISHという大名にあるお店です。
味も満点❣️
たっぷりのラテアートも素敵です。

NET販売はじめました!


遠州七窯・黒田藩御用窯

 

●髙取焼とは
 
 筑前黒田藩の御用窯であった髙取焼は、慶長五(1600)年、現・福岡県直方市郊外の鷹取山南麓において築かれた「永満寺窯」にはじまります。この永満寺窯を築いたのが髙取焼始祖・八山です。
初代八山・八蔵重貞は、士分に取り立てられ、筑前国に入部した黒田長政公より、鷹取山に因んで「髙取」の姓を拝領しました。髙取姓となってから、八山は慶長十九(1614)年、内ヶ磯に移り、「内ヶ磯窯」で十年間制作しました。
雄渾な作風から、次第に瀟洒で洗練された作風となっていったのは、この窯の後半です。徳川三代将軍家光公の茶道指南役・小堀遠州公の指導を受け、「遠州七窯」の筆頭として多くの中興名物を造り出しました。その後、初代・八山は白旗山(現・飯塚市幸袋)に窯を移し、同地で生涯を閉じました。
 二代・八蔵貞明は、寛文五(1665)年、上座郡鼓村(髙取焼宗家現住所)に移り「鼓窯」を築きました。さらに、四代・源兵衛勝利は、享保元(1716)年、早良郡麁原郡(現・福岡市早良区)に「東皿山窯」を開き一年の内半年は鼓窯に滞在して双方で制作を行う「掛勤」を行い始めます。以後代々、明治四(1870)年の廃藩置県まで、この掛勤が続きました。
 このように、永い伝統によって培われた髙取焼の技術は、秘伝書として残され、一子相伝によって伝えられてきました。今後、私共は先祖の偉業を受け継ぎ、斯道探求に精進し、先人に恥じない作品を造りあげてゆかなければならない、と深く念じる次第であります。
 皆様の、今後益々のご支援を賜りますように、ここにご挨拶申し上げます。

                
   高取焼宗家    十三代 髙取八山


唯一直系窯である髙取焼宗家に伝わるもの

左の写真は、初代八山(はちざん)の肖像画です。

当時の朝鮮の衣装に身を包んでいるのでしょうか。

 

中の写真は、髙取歴代記録の抜粋です。

文禄の役で、豊臣秀吉とともに朝鮮出兵した長政公によって、見いだされ、招かれてきたこと等が記されています。

 

右の写真は、初代八山(はちざん)が朝鮮から持ってきた壷です。

菊の花が見事に描かれています。